ごえんをつなぐコラム

四格を育む⑱

マクロとミクロの視点を使い分ける ~ 経営学と経済学の間を往来する

DATE19.09.09

皆様、こんにちは。企業経営アドバイザー検定試験の講座の講師(担当:企業経営・生産管理)をしている三枝です。

 

私は経営に関するコンサルタントや、講義・セミナー・研修の講師をしている一方で、経済に関する講義や執筆活動もしています。つまり経営学と経済学の間を行ったり来たりするという立場で、経営コンサルタント(あるいは中小企業診断士)としてはいささか珍しい立場です。今回は、経営学と経済学の使い分けについて述べたいと思います。

 

■経営学と経済学では目的が異なる

 

多くの方は、「経済学と経営学を同じもの」、あるいは「経営学は経済学の1つのジャンル」と捉えているかもしれません。確かに経営学は経済学をベースに誕生したという経緯がありますが、両者はまったくテーマ(目的)が異なります。

 

経営学は突き詰めれば「単一の企業の利益の最大化(ミクロの観点)」をテーマにするのに対し、経済学は「国全体の利益の最大化(マクロの観点)」をテーマにします。

 

ここでよくある誤解が、「ミクロの合計がマクロになる」、言い換えれば、「1つ1つの企業が利益の最大化のために望ましい行動をすれば、国全体の利益(GDP)が最大化する」というものです。この考え方は誤りです。

 

一企業が利益を最大化するためには、同業者との競争を脱し、独占に近い形を目指すことになり、経営学でもそのように教えます。しかしながら、一企業が市場を独占すると、価格が不当に上がり、消費者は損をするので、企業(売り手)と消費者(買い手)からなる経済全体では利益が阻害されることになります。よって、経済学ではできるだけ、市場を完全な競争状態に近い状態にすることを求めます。独占禁止法はその趣旨に沿ったものです。

 

またイノベーションの成功事例を数多く起こすことが国全体としての課題ですが、そのアプローチについても大きく異なります。経営学では1つ1つのイノベーションの成功確率を高めることに力点が置かれます。一方、経済学ではイノベーションはそもそも成功確率が低いものなので(ハイリスク・ハイリターン)、個々の質はともかくできるだけ多くのイノベーションを発生させるための環境整備に力点を置きます。要は「数打ちゃ当たる」という発想です。具体的には規制緩和や研究開発投資を促す仕組み(税制や資金調達市場など)の整備です。

 

■木も見て、森も見る

 

確かに個々の企業の頑張りは重要なことですが、一企業レベルでできることには限界があります。たとえばリーマンショック後、1ドル115円程度であった為替は、1ドル80円を割る水準にまで円高が進みましたが、これでは日本の輸出企業は韓国・台湾・中国などの企業と戦いようがありません。2012年2月に会社更生法を申請し、製造業として戦後最大の負債総額4480億円で経営破綻した半導体製造業エルピーダメモリの坂本幸雄社長(当時)が、記者会見の中で「為替については、リーマンショック前と今とを比べると、韓国のウォンとは70%もの差がある。円高は一企業の努力でカバーできない」と発言したのは偽らざる本音でしょう。逆にアベノミクス以降の円安で、過去最高益の企業が続出したことは記憶に新しいです。

 

ミクロ偏重の発想は、経営者、経営学者、経営コンサルタントに顕著に見られます。極端な例では、「日本経済がイマイチなのは、みんなが頑張らないからだ」という主張さえあります。私に言わせると、これはただの精神論に過ぎません。

 

ここで大事なことは、経営学(ミクロ)の視点も、経済学(マクロ)の視点も両方大事だということです。私自身も、経営コンサルタントの立場では、(日銀の金融政策が悪い、規制緩和がイマイチなどと言っていても始まらないので)経営学の観点で思考します。一方、経済全体を論評するときは、もちろん経済学の観点で発想するようにし、完全に思考のフレームを使い分けています。

 

経済学の視点がないと、正しい状況認識ができなくなります。みなさんにも、「木も見て、森も見る」、実務的な意思決定の場面では経営学的な発想を、国の政策判断(あるいは選挙の際の政党・候補者の選択)の際には経済学的な発想を心がけて頂ければと思います。

 

中小企業診断士

三枝 元

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