ごえんをつなぐコラム

四格を育む⑫

金融マンの熱き想い~和歌山県有田市より

DATE19.02.21

協会の企業経営アドバイザー資格の普及・啓蒙活動の一環で和歌山県有田市を訪問した際に、有田市郷土資料館に立ち寄った。有田(ありだ)市は全国的には、みかんの産地として有名で、また高校野球ファンにはお馴染みの箕島高校が所在するところである。

郷土資料館には、みかん資料館も併設されており、まずは有田みかんが全国的なブランドとなって行く歴史やその背景などが示された展示物に引き込まれた。みかんの運搬船の模型に見入っていると、地元の方だろうか、年配の男性の方に、隣の資料館には「美しい引き札(ひきふだ)がありますので、是非見てください。」と言われた。“引き札”とは?と思いつつ、早速隣の資料館に移り展示物の“引き札”を拝見したが、なんと浮世絵では、と思えるような綺麗な美術品の数々が展示されており、思わずその美しさに感動してしまった。

引き札とは、江戸時代から大正時代にかけて、商店や製造業者などが宣伝のために作った印刷物で、独特な色使いや図柄で表現された広告用チラシのことで、単に歴史的資料としてではなく美術品としての価値が認められるものも多いという。

数多くの引き札の美しさに目を奪われていたところ、その中の一枚に「株式会社四十三銀行」と書かれた引き札を見つけた。印刷された細かい文字を繫々と眺めていた時、先ほどの年配の男性より「これは昔の銀行の引き札で、この銀行は後の三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)となった銀行ですよ」と教えてもらった。名称を数字で表示された銀行は、明治時代に全国各地に国立銀行として設立され、和歌山においては明治11年に第四十三国立銀行として設立され、同30年に法律によって私立銀行として営業譲渡されて、四十三銀行と改称されたものだ。

(有田市郷土資料館を通じて、写真の所有者の許諾を得て掲載しております)

銀行の変遷もさることながら、当時の銀行にも広告宣伝のために印刷した引き札というものが存在し、今でも保存されていることにもある種の感動を覚えた。

ひと通り有田市郷土資料館の展示物も見終え、今回の訪問先の一つである紀陽銀行箕島支店に濵田支店長をお尋ねし、地元の経済環境や人材育成のあり方などについて、ご意見を伺っていたところ、偶然にも郷土資料館の引き札が話題となった。濵田支店長も最近、四十三銀行の引き札を郷土資料館にてご覧になったとのこと。私が郷土資料館で年配の男性から三和銀行の引き札、と聞いたことをお話しすると、少し落胆され、淡々とその歴史について語っていただいた。

「あの引き札を印刷した四十三銀行というのは、昭和初期に紀陽銀行、紀伊貯蓄銀行(紀陽銀行に合併)、田辺銀行(紀陽銀行に買収)、大同銀行(三和銀行に合併)、三十四銀行(後の三和銀行)六十八銀行(後の南都銀行)の6行に分割買収されたというのが正確な歴史なのです。説明された方はきっと三十四銀行と四十三銀行を間違えられたのでしょう。分割買収後も地元で、唯一当時の名前で現存しているのが我が紀陽銀行であるのに少し残念な気がします。」

明快に地元の金融機関の変遷を語ることが出来る濵田支店長の解説力にも驚いたが、何よりも「自分たち職員はもちろんのこと、地域の人たちには正確な情報を知ってもらい、また自分たちが責任を持って地域の歴史を伝承してゆくことがとても大事なのです。」と語ってくださったことが非常に印象的であった。

最後に「あの四十三銀行の引き札は自分たちのものと言っても過言ではないんです。守って行かなくてはいけないのです。」という熱い言葉には、地域を引っ張る金融マンとしての魂を大いに感じさせていただいた。

一般社団法人日本金融人材育成協会理事

飯田 勝之

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